
2026年のゴールデンウィーク、首藤繭子さんはIMDのローザンヌキャンパスで10日間を過ごしました。「Board Director Diploma」(文末詳細参照)という課程で、企業の取締役そのものを実践的に学ぶためです。ウェルネス企業の取締役兼COOを務め、スタートアップの社外取締役も兼ねる首藤さん。なぜ受講したのか。10日間の学びとその後を、自身が綴ったnoteから引用しつつ振り返ってもらいました。

首藤繭子(Mayuko Shuto) 投資銀行、コンサルティング会社、自動車メーカー、AI系スタートアップを経て、現在はウェルネス企業の取締役COO、およびスタートアップの社外取締役。経営層から管理職を中心にコーチングも提供。慶應義塾大学法学部卒、米国スタンフォード大学MBA(フルブライト奨学生)。
「監督」だけになって
首藤さんは社外取締役に就任したスタートアップの取締役会に参加するうち、次第にモヤモヤが生まれてきたといいます。
首藤:取締役の役割を本当に意識したのは、社外取締役になってからでした。社内取締役はCOOとして執行も担っているので、取締役としての自分を考えずに済んでいたのですが、社外は「執行」の物差しが使えません。つまり、「プレーヤー」の役割なしで「監督」だけになったことで、役割を初めて自覚したわけです。
最初に引っかかったのは、月1度の取締役会での報告事項です。事業の数字の報告だけで、ほぼ会議は終わりました。初めのうちはこんなものかと思いましたが、事業がうまくいっていない時も同じ調子で会議が続くのを見て、議論はしないのだろうか、と思うようになりました。
自分も、分かりやすいことしか聞けていない。同じ社外取締役でも、投資家の方は時々刺さる質問をされるのに。そんな思いもありました。ビジネスの理解が足りないのか。それとも私に質問力がないのか。ずっと、そこを行ったり来たりしていました。
どうすれば社外取締役として貢献できるのか。就任して数ヶ月たつと、ここで一度きちんと学び直したいという気持ちがたかまりました。COOを務める会社に相談し、勉強する機会をいただいたのです。
IMDを選んだわけ

きっかけをくれたのは、日本で長く経営層を務めたフランス人の先輩でした。欧州のビジネススクールには、取締役の役割そのものを学ぶ実践的なプログラムがある、と教えてくれたのです。
普段接することのないようなクラスメイトとの交流から学べることも多いのではないか。MBAや近年の仕事で接してきたのが日米中心だったことを考えると、欧州で、これまでとは違うボードの考え方を学べたら面白いのではないか。
そんな観点で探すうち、IMDの「Board Director Diploma」に行き当たりました。ちょうどゴールデンウィーク前後で一気に受講できる日程だったので、ここで受けようと決めました。
IMDに決まるまで、日本での取締役対象のプログラムもいくつか調べました。弁護士や会計士から経営の数字の見方を学び、ガバナンスコードを理解する。私が調べた範囲では、制度から取締役の役割を学ぶスタイルが多いように見えました。それももちろん大事なのですが、欧州のそれとはずいぶん違うな、というのが第一印象です。本当に大切なのは議論すること、しかもコンフリクトが起きるくらいでなければいけない。実際、IMDでの大きな学びはそこでした。
受講者からの学び
首藤さんは選択講座のひとつ「Team Dynamics for Boards」(取締役会のチーム力学)に参加しました。
| 参加者たちの大半は、いまどこかで組織を率い、意思決定の重みを背負っている人たちです。(中略)この顔ぶれだからこそ、学びの半分は、壇上からではなく、隣の椅子からやってきました。(首藤さんのnoteから) |
この講座で、ソシオグラムという手法を学びました。集団の関係を図にするものです。メンバーを点で置き、誰と誰が近いか、誰が誰に影響を与えているかを線で結びます。いわゆる「組織図」で描かれるのは公式の指揮命令系統ですが、ソシオグラムが描くのは、実際に動いている力学。しかも、同じ集団を5、6人がそれぞれの視点で描きます。誰が誰に影響を与えているか、とらえ方は人によってだいぶ異なります。
首藤:全員が「自分から見たグループ」を描いて、なぜそう描いたか理由を説明し合うのです。他の人の図に置かれた「自分」の位置を見て、ぎょっとしました。私って、こう見られているのか、と。
「隣の椅子」からの学びは、ソシオグラムをめぐる議論がもつれた場面で訪れました。
首藤:同じグループに、企業で財務の責任者を務める受講者がいました。議論がもつれてきたところで、「僕は降りる」。そう言って、講義室から出て行ってしまったのです。
このときのことを、首藤さんはnoteにこう書いています。
| 黙って消えるのではなく、自分はここから降りる、と理由も含めてチームに正直に告げてから、席を立ったのです。不満を呑み込んで愛想笑いを浮かべている方が、その場は穏やかに収まります。しかし、それをあえてせず、波風を立ててでも本心を言葉にする。取締役会で真に求められるのは、まさにこの作法です。私は教壇のどの講義よりも、彼の背中から多くを学びました。(首藤さんのnoteから) |
首藤:財務の責任者であっても、苛立てば席を立つのです。人間関係のダイナミクスがどうインパクトを与えて、それが取締役会の意思決定にどう影響するか。この講座が扱っていたのは、そこだったのだと思います。
「整った答え」の価値が下がった
別の選択講座「Digital and AI Transformation for Boards 」(取締役会のためのデジタル・AI変革)で、首藤さんの記憶に残ったのは、生成AIをめぐって飛び出した一言でした。 “Generative AI is a bullshit center”(生成AIは、もっともらしさの製造機だ)。教室は笑いに包まれました。
| AIが大量の説得力ある答えを瞬時に生成できる時代、もっともらしい答えそのものの価値は、急速に下がっています。(中略)会議室で一番価値が低くなったのは、整った答えです。価値が上がったのは、その答えの前提を問う一言。(首藤さんのnoteから) |
講座では2枚の風刺画が示されました。1枚目は、答えが降ってくるのを待つ役員たち。2枚目は、一人の役員が議長らしき人物から、こう言われています。”I realize you were just saying what everyone was thinking … and if you do it again you’re fired”(きみは皆の本音を代弁してくれた。でも、もう一度やったら、今度はクビだ)
| 冗談の形をしていますが、冗談の形でしか言えない真実があります。(中略)絵の中の役員たちは、まさに過去の私そのものでした。
(首藤さんのnoteから) |
首藤:AIは何を投げかけるかで、出てくるものが変わります。資料の多くがAIで作られるようになった今、書かれている前提を問いかける能力が問われているのだと思います。その出発点は、言葉になる前の違和感です。ピンと来ないと、人は動けません。フィードバックを受けても、自分で認識しないと変われないのと同じです。
「分かっている」と「やれている」は別
一連の講座を受けるうち、首藤さんはそれまでの自分を振り返るようになりました。
首藤:正直に言えば、最初は藁にもすがる気持ちで、IMDに来ました。行けば少しはモヤモヤも晴れるだろう、と。確かにクリアにはなりましたが、当初想像していたものとは違いました。分かりやすい答えをもらったのではなく、心持ちのようなものを得られたのだと思います。
| 教わったことの多くは、頭では分かっていたことでした。取締役の役割、問いの立て方、リスクの見方。知識として知らなかったわけではありません。(中略)でも、知っていることと、やれていることは、まったく別でした。(首藤さんのnoteから) |
当初のモヤモヤの正体は、立場の反転から見えてきました。 きっかけの一つが、講座で紹介された「幸せな家族の罠」(Happy Family Trap)という言葉。波風を立てまいと互いに空気を読み合い、赤信号を見逃す。和やかさや全員一致を、健全さと取り違える状態を指します。
| 講義を聞きながら、ひやりとしました。黙る側の力学なら、私は誰より理解しているはずでした。自分が黙ることへの恐れも、その理屈も、身をもって知っていた。それなのに、見る側に回ったとたん、目の前の沈黙をまるで読めていなかった。(首藤さんのnoteから) |
必修講座で出会った二つの概念も、集団と自分の関係を反転して考えるきっかけになりました。
「セルフ・イン・グループ」(集団の中の自分)と「グループ・イン・セルフ」(自分の中の集団)。前者は、集団の中で自分がどう振る舞い、どう位置づくのかを見る視点。後者は逆に、集団の力学が自分の内側に入り込んでくるととらえます。不安や苛立ちは、自分個人のものではなく、その集団が抱えているものが自分を通して表れている、ととらえる視点です。
首藤:それまでの私は「セルフ・イン・グループ」ばかり考えていました。自分ができていないから、こういう状況なのではないかと。でも、モヤモヤの原因が自分だけの問題ではなかった、という視点を持てました。議題や、それに必要な資料や情報が出ていなかったのもあるのではないか、と。
質問が増えたら相談も増えた
変化は帰国後、すぐに表れました。
首藤:以前の私なら言わずにいたことも、プログラムを受けた後は、そのまま伝えることができるようになりました。踏み込むことへの恐れは、ほとんどなくなりました。意見を言うならまだしも、質問に間違いというものはありません。理解したいだけですから。
| IMDで、忘れられない一言がありました。”Talk is the work.” 取締役会では、対話することそのものが仕事だ、という意味です。(中略)取締役会が機能しているかどうかは、立派な規程の有無では決まりません。決めるのは、その部屋で交わされる摩擦の質です。(首藤さんのnoteから) |
首藤:議案の背景がすぐには分からないとき、言い方に気をつけたうえで、どういう経緯でその結論に至ったのかを確認するようになりました。質問して話してもらうコーチングに近いやり方です。
取締役会の資料についても、私が質問をきっかけに、事務局側から改善の相談を受けるようになりました。有機的につながり始めた感じがします。新しい取り組みについても同様です。何のためにやるのか、取締役会として合意しておいたほうがいいのでは、と論点を出すことも増えました。
取締役会の開催頻度についても考えるようになりました。欧州も米国も、取締役会の回数は3ヶ月に1度程度です。その代わり必ず全員が集まって、朝から晩まで一日かけて議論する。日本は毎月、2時間を2回。そうすると、結局は毎月の数字の報告で終わってしまいます。今度、提案してみようかと思っています。
取締役会をどう変えていくか。首藤さんのnoteでは、こう結ばれています。
| 取締役会を、真に機能する場に変えていく。その道のりは、正直まだ遠いものです。それでも、遠いと分かっているからこそ、進むべき方向だけは見失わずにいたい。(首藤さんのnoteから) |
IMD Board Director Diploma とは
企業や公的機関、非営利団体などの現役役員向けの計10日間の実践的な課程です。必修講座「High Performance Boards」(実質4日間)のほか、テーマ別の選択講座10講座(各2日間)の中から3講座を受講します。課程修了には、これらの講座のほか、専任コーチとの面談、学びの記録の作成、ガバナンスとファイナンスの2つの知識確認テスト、実践課題(取締役としての課題を扱う小論文。受講者同士のレビュー後に提出)を終える必要があります。詳細はこちらのサイトをご確認ください。
【選択講座の主要テーマ】
・「Team Dynamics for Boards」(取締役会のチーム力学)
・「Digital and AI Transformation for Boards」(取締役会のためのデジタル・AI変革)
・「Boards and Risks」(取締役会とリスク)
・「Finance for Boards」(取締役会のためのファイナンス)
・「Geopolitics for Boards」(取締役会のための地政学)
・「Role of the Chair」(議長の役割)
・「Women on Boards」(取締役会と女性)